2025/9/16

司法書士受験生の事務所経験の是非④(モラハラ事務所で精神安定剤を服用していた友人)

 また、敢えてここには書きませんが、その事務所は重大な違法行為をしていました。キックバックとか、そんなレベルの話ではないです。ここにいたら、自分まで犯罪者になってしまう。打たれ強さには自信のある私も、1が月の試用期間が限界でした。バリバリの体育会系で厳しい私の父も、そんな事務所は試用期間で辞めてよいと言い、試用期間の最後で、私から辞めました。

 試用期間最後の日の業務終了後、所長がメモ帳と電卓を持ってきました。所長は私を本採用する気があったようです。応接の机で、席について間髪入れず、私が「今日で辞めさせていただきます」と言うと、所長はウッと言葉に詰まったようで、一瞬、沈黙しました。

 「…前から辞めるつもりだったの?」と聞かれましたが、そうです、と答えると、また罵倒されるのが目に見えていたので、「昨日までじっくり考えましたが、葛藤は前からありました」と答えると、所長は「…そう…じゃあ、仕方ないね…」と言い、無事、罵声を浴びずに退社することができました。

 私の父が言うには、本採用するつもりがあったということは、1か月間、毎日パワハラをやり、それでも私が本採用を希望するなら、安い金額で雇ってやろう、という魂胆だったのだろうとのことでした。私もそう思います。つまり、1か月間、毎日圧迫面接をやり続けたようなものでした。

 当時はネット黎明期をようやく過ぎた頃で、新聞の求人広告もよく使われていましたが、その後、その事務所は朝日新聞に求人広告を頻繁に出していました。私の前任者も2か月で辞めたと聞いていましたが、私の後任も続かず、もう一人いた受験生補助者も、辞めてしまったようです。補助者を考えている人は、その事務所が求人を頻繁に行っているかは、要チェックです。

 そのパワハラ事務所で私が苦しんでいた頃、Lの同僚だった友人も、別の事務所で長期のモラハラに苦しんでいました。彼は非常に優秀でしたが、真面目過ぎて試験が上手くいかず、行き詰っていたところ、環境を変えるため、事務所へ就職しました。開業したばかりの事務所だったので、暇だった頃は、所長は優しかったそうですが、事務所が軌道に乗って忙しくなると、所長は彼に八つ当たりをするようになったそうです。その所長は、怒鳴るようなわかりやすいパワハラはしなかったそうですが、穏やかな口調でネチネチと責め立てるタイプだったそうです。私がパワハラ事務所で苦しんでいた頃、彼はメンタルをやられ、精神安定剤を服用しながら、事務所に勤務していました。私がパワハラ事務所を辞めた1か月後、彼は5年勤務したそのモラハラ事務所を辞めました。彼は半年ほど休養した後、試験も断念し、全く別の道へ進みました。

 彼は全盛期には、予備校の試験直前の最後の模試で、全国5位になった猛者です。試験を断念したのは彼自身の決断です。しかし、長期のパワハラを受け、メンタルをやられなければ、今頃は司法書士として活躍していた可能性も、無きにしも非ずだと思っています。

 その彼のこともあり、私は、もう、合格するまでは、補助はやらないでおこう、と思いました。そのパワハラ事務所を辞めた年は2002年で、就職氷河期が、最も厳しかった年ともいわれています。パワハラ事務所を辞めた翌月、パソコン教室に通い、パソコン検定を取った後、派遣登録をし、経済産業省管轄の科学技術系の財団へ原則残業なしの契約で勤めました。事務系の派遣としては、当時最も高い時給だったので、受験生補助者の正社員の残業のない額と、ほぼ同額の年収を得ることができました。