2025/9/16
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司法書士受験生の事務所経験の是非③(罵声が朝の挨拶の事務所) |
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3軒目は更に強烈でした。Lを去った後、実務に戻ろうと正社員で山手線沿線の駅近くの事務所に入社しましたが、とんでもないパワハラ事務所でした。所長がとにかくドケチで、明らかに補助者の員数が足りておらず、仕事が過密状態で、常にイライラとしており、そのイライラを発散させるため、受験生補助者を怒鳴り散らしてストレスを発散するような人物でした。特に朝、機嫌が悪いため、罵声が朝の挨拶で、一般企業なら怒らないようなことでも、無理やり大事にして怒鳴りまくって、受験生補助者を人間サンドバックにしていました。 たとえば、当時はオンライン申請ではなく、法務局へ持参する書面申請で、現在の登記完了予定日は補正日と呼ばれていて、世田谷の法務局に、補正日よりも1週間以上前、申請からわずか3日後に、登記済を受領しに行くよう、言われました。私が、補正日よりもかなり前ですけど、大丈夫ですか、と所長に尋ねると、 「余計な口をきくんじゃない!あんたは黙って言われたとおりにしてりゃあ、いいんだよ!」 と、大声で怒鳴られました。まともな所長なら、「ああ、そこは今、3日で上がるから大丈夫だよ」と言えば済む話です。でも、一事が万事、その調子で、まともな会話ができない。言いがかりをつけては、罵声を浴びせてくるので、必要最小限の会話しかできない。もう一人いた受験生補助者も、同様にしていました。当時私は34歳、所長は推定還暦前後でしたが、私は所長に「年寄り」と呼ばれていました。「年寄りは何処へ行っても嫌われるんだよ」とも言われました。 また、昼休みは20分しかありませんでした。山手線沿線の複数路線の乗り入れる大きなの駅近くで、飲食店は山ほどあるのですが、外食は禁止されており、昼食は近所のコンビニで買って、事務所で食べることを強要されていました。事務所を出てコンビニへ行って昼食を買って帰ってきて事務所で食べ終わるまでが20分、後はすぐに仕事でした。それが毎日です。サービス早出は毎日で、サービス残業もありました。ある日、自宅からも事務所からも遠い銀行へ直行で行き、書類を受領して、昼食を買って事務所へ着いたのが丁度12時でした。そこで、昼食を食べようとしたところ、「何昼飯なんて食べてるんだ!さっさと書類を作れ!運び屋じゃないんだよ!」と怒鳴られました。昼食後に書類を作っても、事務所を出て申請するのに、時間は変わりませんが、単に書類を受け取ってきたのは仕事とは呼べない、12時だろうが関係ない、先に書類を作って仕事と呼べる、昼食はその後だ、ということでしょう。真夏の炎天下を長距離移動して疲れて戻ってきたのに、書類を作成して13時を過ぎるまで、昼食はお預けになりました。 更に、試験についても、偉そうなことを言われていました。その所長は、司法書士の国家試験合格者ではありません。その前身の、民間資格だった時代の、認可試験合格者です。認可試験は、記述式のない、択一式のみの試験です。記述も書かないで司法書士になったくせに、記述についても偉そうな上から目線で物を言われました。私は、あんたに国家試験が合格できるのかよ、国家試験に合格していない者は、国家試験については一言も語るな、と喉まで出かかりましたが、ぐっとこらえました。 決定的だったのは、有資格者の番頭の指示にしたがっただけで、怒鳴られるようなことはしていないのに、番頭がダンマリを決め込んだため、私が所長に罵声を浴びせ続けられる羽目になったことでした。もう20年以上前のことで、明確には覚えていないのですが、不動産登記の委任状の不動産の表示で、最小限のことしか書かない簡易型か、不動産の種類や面積まで完全に書く形式か、いずれにするのかを番頭に尋ねたことだったと思います。実務上はいずれでも構わないのですが、事務所の方針もあるかと思い、所長がいなかったので、番頭に尋ねたところ、簡易型を指示されたので、簡易型で用意しました。ところが、所長は簡易型が好みでなかったようで、後日、私は所長に罵倒されました。「それ、Sさんにどちらにするか伺って、Sさんの指示でそのやり方にしたのですが」と私が所長に言うと、番頭のS氏は、一瞬、こちらを見た後、下を向いてダンマリを決め込みました。そこで番頭が「私がその形式にするよう、指示しました。次からはすべて書く形にします」と言ってくれれば、そこで終わった話です。しかし、番頭がダンマリを決め込んだため、所長は沈黙した後、振り上げた拳が下せなくなり、再び私を罵倒しました。この時、ああ、所長が所長なら番頭も番頭だ、もう辞めよう、と思いました。 |
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