2025/5/25

受験勉強をことさら苦しく感じる必要もなければ、楽しむ必要もない

 「苦しければ最高。苦しくなければ最低。」

 これは、10年以上前に教壇を降りた、元ベテラン講師の言葉です。この言葉を、「名言」と捉えていた受験生も一部いたようで、その考えで受験勉強が上手くいっているのであれば、それはそれで構わないかと思います。ただ、真面目過ぎる人を、かえって追い詰めることにもなりかねず、合わなければ、スルーして構わないかと思います。難関資格の受験生は、真面目過ぎて駄目になる人も多いので、「苦しいことが良いことだ」的な考えは、それが重荷になるのであれば、取り入れなくても良いと思います。

 反対に、「合格した年は、受験勉強が楽しくて仕方なかった。」という旨を述べていた、元講師もいました。若い、社会人経験のないまま講師になった方だったので、いかにも、という気がしましたが、こちらも、そのような心持で上手くいっているのであれば、それはそれで構わないかと思います。でも、受験勉強が楽しくて仕方ないなど、理想ではあっても、そう思える受験生は、殆どいないでしょう。また、無理してそう思う必要もないと思います。

 私自身は、合格した年は、「楽しくもなければ苦しくもない、充実感も高揚感もなければ、悲壮感も不安感もない。あまりにも淡々とし過ぎていたので、勉強していた記憶が殆どない。」といった状態でした。試験当日も、気持ちの上がり下がりが殆どなく、淡々と作業に徹していました。正直、合格した年は、仕事も忙しく、他試験の受験もしていたこともあり、司法書士試験の受験勉強に費やした時間は、とても少なかったのも事実です。しかし、局面、局面で、戦術をマイナーチェンジした記憶はあっても、具体的に司法書士試験の受験勉強していた記憶が、殆どないのです。そのぐらい、息をしたり、食事をしたりするような感覚で、日常生活の一コマとして、勉強していたのだと思います。

 ある意味、超ベテラン受験しならではの、悟りの境地だったのかもしれません。そもそも私は、合格した年は、自分にとって必要だから司法書士の資格を取る、そのために合格最低点を取る、それ以外のことは、一切考えないようにしてきました。若い頃は、余計なものを背負い過ぎて潰れてしまったので、極力考えをシンプルにするようにしました。そこから、小さな資格も次々と合格し、最終的には司法書士試験にも合格、超長期受験から脱することができました。

 私は、受験勉強を、苦しさを感じていなければまだまだだとか、楽しまなければ駄目だとか、そう思って上手くいっているのであればともかく、そうでなければ、そのように思いながら勉強する必要は、全くないと思います。自身の感情に素直に従うのが一番であり、また、余計なものを背負わない方がベターである、と私は思います。