2024/8/13
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強運で合格する者はいるが不運で落ちる者はいない |
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「司法書士試験の合格は順番待ち」 これは、合格者もよく使う言葉です。その言葉の意味は、「司法書士試験は、ハイレベルな受験生でも、すぐには受からない。合格レベルに達してから、何年も待たされてから合格する人が多い。」という意味でしょう。さらに深堀すれば、「なんだかんだ言って、問題の相性は大きい。合格レベルに達しても、問題の相性に恵まれないと、なかなか合格できない。」というのが、「司法書士試験の合格は順番待ち」を口にする人たちの本音かと思います。「問題の相性は大きい」、これも合格者で口にする人は多いです。「問題の相性」とは何か、ストレートに言えば、「運」だと思います。つまり、合格するには、多少なりとも運が必要、ということです。私も合格する2年前、令和元年の試験前までは、そう思っていました。 しかし、この考えは、重大な欠点があります。それは、どんなに努力しようが、運が悪ければ不合格になる可能性を否定していない、ということです。この考えは、どんなに努力しようが、極端に相性が悪い問題が出題されると、落ちる可能性がある、落ちても仕方ない、そんなエクスキューズを自分に与えてしまうのです。 運が悪くて不合格になる、そんなことは100%ないとは言いません。しかし、自分に責めがなく不合格になるのは、不慮の事故や重篤な病で試験当日に入院し、物理的に試験が受けられなくなる場合しか考えられません。私は長い受験生活の中で、試験直前に健康を害したことや、家庭の事情で勉強時間が取れなかったことがありました。しかし、2、3週間でも勉強を前倒ししていれば、何とかなったと思います。試験当日に入院で拘束されない限り、試験に対する大抵のリスクは、2、3週間の勉強の前倒しで、回避できるはずです。つまり、運が悪くて試験に落ちる、などということは、ほぼほぼあり得ないのです。 短期合格者を中心に、問題の相性という強運に恵まれて合格する人が少なからずいることは、否定しません。彼らを必要以上に持ち上げてしまう予備校も良くないのですが、彼らの声が大きすぎるのも、受験生を惑わす要因であると思います。でも、だからと言って、問題の相性が悪かったから不合格になった、ということにはならないと思います。 「運が悪ければ(極端に相性の悪い問題が出題されれば)試験に落ちる可能性は否定できない。」という考えと、「運が悪くて試験に落ちるなどということはない。打つべき手を打てば必ず合格できる。」という考えとでは、天地の差があります。司法書士試験はたった1日、わずか5時間で勝負が決しますから、何があろうと、すぐさま気持ちを切り替えなくてはいけません。どんなに苦しくても、どんなアクシデントがあっても、瞬時に気持ちを切り替えて、1%でも合格の可能性が高くなる手を打つべきなのです。特に近年の試験の午後の部は人間の事務処理能力の限界を超えていますし、「えっこれ出すの?」というようなおかしな問題も出題されます。その時に、「運が悪ければ試験に落ちる可能性は否定できない。」という考えだと、冷静に戦えないのです。私は、「運が悪くて落ちるなどということはない。打つべき手を打てば必ず合格できる。」というように令和元年の試験後に考えを変えて、令和3年の本試験の5時間の勝負を冷静に乗り切り、合格することができました。 令和元年の試験前まで、私は、運が悪くて落ちた、と言ったことはなかったですが、ギリギリのところでツキに見放された、というようなことは言っていました。不合格は基本的には自分の実力不足と認識しつつも、多少なりとも不運な要素があったと思っていました。結局、不合格がすべて実力不足と思うと、自分の努力を否定するような気がして、どこか不運も言い訳にしたかったのだと思います。そこが超長期受験となった最大の要因であり、その考えから脱却できたのが、とても大きかったと思っています。 長くなりましたが、「司法書士試験の合格は順番待ち」ではありません。「司法書士試験は問題の相性という強運に恵まれた合格者が多く、彼らの声が大きいため、不合格者は訳が分からなくなるが、不合格には必ず理由があり、そこを改善すれば、必ず合格できる。」と、私は強く思います。故野村克也監督の「勝ちに不思議の勝ち有り負けに不思議の負けなし」は、難関資格の受験にも当てはまると思っています。 |
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